歴史

1879

熊野古道大門坂にて酢づくりをはじめる

江戸末期、那智山では醸造が栄えていました。その流れを汲み初代小坂庄七が古から人々の信仰の道であった熊野古道の大門坂にて友人とともに酢づくりを始めました。その後明治12年(1879)、現在社屋がある那智勝浦町・天満にて独立創業いたしました。

1948年〜

戦後の苦難の中、酢づくりを再開

終戦直後の混乱から抜け出した頃、ようやく原料の供給が次第に整い再び酢づくりを本格的に再開。しかし長年空のまま桶を放置していたためアルコール成分を分解する酢酸膜菌がうまく発生せず苦心しました。大きな桶を何枚も結び合わせた風呂敷に包み、他の蔵から菌が発生した酢を分けてもらっていました。しかしすぐに菌は定着せず、何度も足を運び何十回と仕込みを続けてようやく粒状の菌が発生しました。

1951年〜

木桶を大事に守るべきと固く心に決めた

戦後はFRP、ホーローやポリタンクなどでできた桶で短時間の量産を可能にする醸造が広まりました。木桶でつくる酢は桶全体の5%が蒸発などで欠減します。3代目小坂晴次は木桶が菌にとっては最良だとよくわかっていましたが、新しいタンクの導入を検討していました。しかしある晩ふと思い立ち、木桶とポリタンクに酢を仕込んで2つを比較検討しました。1ヶ月後、木桶の酢の香りを比較。木桶に軍配が上がります。2ヶ月、3ヶ月経つと旨味、コクともにやはり木桶に軍配が上がりました。以来丸正酢は木桶を守り続けると固く誓い、今日に至ります。

1980年〜

自分にしかできない酢を

⽊桶の酢づくりを軌道に乗せた後、3 代⽬⼩坂晴次は熊野地⽅を中⼼に酢の普及にいそしみました。80 年代からは全国展開をも視野に⼊れ、物産展などに出展をスタート。マクロビオティックの世界的権威久司道夫⽒の依頼を受け、それまで酢づくりに不向きとされていたもち⽶の⽞⽶で醸造にチャレンジし、⾒事成功。⽇本でも世界でも類を⾒ないもち⽞⽶の⿊酢が誕⽣しました。
今⽇わたしたちの製品は、国内はもとより、美⾷の国フランスやイタリアなどのヨーロッパ各国、アメリカ、中国、台湾、シンガポール、オーストラリアにも輸出しております。